身体と世界の境界線 #1 幽体離脱体験
早くも更新が遅れています。日曜日なのにドタバタしていました。それでは記念すべき第1回目の論文の紹介をしたいと思います。著作権など問題が生じる可能性があるので,論文中の図表などは一切載せていません。
幽体離脱は実験で体験できる?!
記念すべき第1回目論文は2007年にScienceで発表された論文になります。結構この分野では有名な論文みたいです(Scienceに載るぐらいですし)。簡単にまとめると,VR技術を使うことによって,あたかも自分が自分の身体の外部に存在しているかのような感じを体験できる,というものになります。詳細(というほど詳細ではありませんが)は以下にまとめます。また,書誌情報は一番下に載せておきます。
脳内での身体イメージと身体のズレが幻覚を生む
腕などの身体部位があるにも関わらず脳に損傷を受けた結果その身体部位の存在を認知できなかったり,逆に事故により切断した身体部位の位置に何かがありかつそれに痛みが伴うといった症状が報告されます。これは脳内で表されている身体イメージ(ホムンクルスと呼ばれたりします)と現実の身体との乖離によって生じていると考えられています。この身体イメージは過去の身体を動かした経験や,写真や鏡などで視覚的に見た像などから形成され,身体イメージを持ったまま,突然身体の部位を失ったり,逆に身体イメージが表されている脳部位に損傷を受けると,身体イメージと身体との間に乖離が生じてしまうことになります。
身体イメージと身体所有感
身体イメージと身体との間に乖離が生じている状態では,自らの身体を所有している感覚が乏しくなります。これが上で説明した自らの腕を自らの腕と感じられない症状であったり,無いはずの腕の位置に痛みを感じるなどの症状に現れます。自らの身体を正常に認識できていないわけです。このような症状であったり状態を理解するために,似た状況を健常者で生じさせることができないか,というのが本論文の大きな目的です。上でも少し触れましたが,身体イメージは過去の経験,特に視覚情報と触情報(正確には固有受容性感覚から上がってくる情報)を統合し形成されます。この事実を示す面白い実験があります。
ゴム手が自分の手に感じる
ラバーバンドイリュージョン(以下RHI)では,ゴム手と布などで隠された自らの手を実験者が同時に筆で撫でる動作を繰り返すと,徐々にゴム手を自らの手であると錯覚し始めます。これは,固有受容性感覚から上がってくる撫でられているという感覚と,撫でられているゴム手の視覚情報が統合され,結果として身体イメージが更新されるということです。このように身体イメージは結構柔軟であり,かつ視覚情報に多大な影響を受けることが示唆されます。
身体全体の所有感を別のものへ
RHIの手続きを応用し,手の所有感ではなく,身体全体の所有感を他のものへ移すことが可能であるのかを本論文では検討しています。実験参加者にヘッドマウントディスプレイ(以下HMD)越しに自らの背中を眺めます。この際実験者は参加者の背中を棒で撫でます。この操作を行うことにより,実験参加者はHMD越しに2メートル先に見えている身体が自らの身体であると錯覚し始めます。どれ程度見ている対象物に身体所有感が引っ張られているかを検討するために質問紙による主観評価や,行動指標としては自らの身体位置を判断させる課題などを行っています(詳細は論文をご覧ください)。その結果主観評価からも行動評価からも,身体所有感が2メートル先の対象に移っていることが確認されました。
身体イメージは柔軟である
過去何十年掛けて作られた身体イメージなため,とても頑健なものであるかとおもいきや,実は結構柔軟であることがこの論文から示されました。これは一見導入の部分で述べていた自らの身体を自分の身体と思えなかったり,ないはずの腕の位置に痛みを感じたりする症状と矛盾するように思われます。でも実際は全く矛盾していません。本実験やRHIの実験では,生態学的に何の矛盾もない状況でのみ身体所有感が移る,身体イメージが変容するのです。例えばRHIではゴム手の向きが逆であったり,本論文では見ている対象物が四角いブロックであったりすると身体イメージの変容は見られません。つまり,それっぽい状況でなければ身体所有感の移動は起こらないのです。突然腕をなくしたり,脳部位の損傷を受けた場合には,急な変化であったため状況を正確に判断できていないため,身体イメージの更新が行われないのです。
ゴルフに活かすと?!
身体イメージを変容することが可能であるというのは大きな発見であります。なぜなら,ちゃんとした方法を取れば身体イメージと身体との差異を縮めることが可能であるということがわかったからです。次はどうやってこの差異を縮めるのかということですが,その方法を思いつくには後何本論文を読めばいいのでしょうか。
書誌情報
Lenggenhager, B., Tadi, T., Metzinger, T., Blanke, O. (2007) Video ergo sum: Manipulating bodily self-consciousness. Science.
新連載 身体と世界の境界線
本日から不定期連載(自分の時間がおっつく限りは毎日)「身体と世界の境界線」というお題で連載を始めたいと思います。
「身体って思っているように動かせてない?」
連載って何するの?って話ですが,毎日お題に関連する学術論文を一本紹介しようと思います。お題を「身体と世界の境界線」としたのは,単純に僕の興味です。以前の投稿でも紹介しましたが,僕は1年程前にゴルフを再開しました。中学の頃にやっていた時は特に何も考えずにクラブを振ってボールを前へ飛ばしていたわけですが,今は中学生の頃よりも力があるため遠くへ遠くへ飛ばそうとするあまり良くボールがスライスするようになってしまいました。頑張って直そうとしてもうまくいきません。本当に頭を悩ませました。
と,前置きが長くなりましたが,このような問題から,「なぜボールが真っ直ぐ前へ飛ばないのだろう?」という疑問は「なぜ身体を思ったように動かせていないのだろう?」という疑問へと変わりました。
イメージと身体の差異
ゴルフにおいてスライスが出る原因はいろいろとあるわけですが,簡単にいえばボールにクラブが当たる瞬間にクラブの向きが正面を向いていないのが問題なのです。アマチュアの場合はこのボールに当たる瞬間のクラブの向きが毎度変わってしまうため安定してボールを真っ直ぐ前へ飛ばせないわけです。
で,「なんで安定しないの?」という話です。ここで唐突ですが考えて見たいことがあります。僕はどれほど正確に自分の身体を動かせているのだろう?答えは,実は全く(少なくとも自分が思っている程には)正確に動かせていない,です。例えば,今から立ち上がり,鏡の前で床と水平になるように両腕を左右へ上げて見るとします。目を開けて自らの腕の高さを見てみます。多くの人は自分の腕が水平よりも上がっているないしは下がっていることに気づくと思います。自分の持っている身体のイメージが現実と合っていないことにこれで気づくかと思います。そこで,ゴルフに話を戻すと,こうやってクラブをボールに当てればいいんだというイメージを持っていたとしても,現実ではほとんどの人がイメージと身体の差異によってそれを行えないということです。よく「うまくなるためには自分のビデオを撮ると良い」といいますが,これは身体イメージと現実の運動の差を意識させる点で有効であると思います。イメージと現実の差異を減らす必要があるのです。
イメージと身体の差異を無くす
なーんて理屈ではわかっていても,じゃーどうすりゃいいんだよ!って話ですよね。反復練習あるのみ!なのでしょうか?僕はそうは考えません。繰り返し練習しても,結局イメージと現実の身体の差異が残ったまま,その差異を考慮したうえでの身体の動かし方を覚えるだけなんです。「え,それでいいんじゃないの?」と思うかもしれませんが,これには一つ大きな問題があって,道具に依存したスキルが学習されてしまうということです。このクラブのこの重さのこの長さのこのロフト角のこのシャフトの硬さの…みたいないろいろな条件が組み合わさったこのクラブでだけ通用するスキルを学習してしまうのです。一旦クラブを変えてしまったら,また一からスキルを学習しないといけないわけです。それって大問題ですよね。この問題を解決する唯一の方法が,イメージと現実の身体の差異をなくした上で練習をすることです。そうすると,そもそも自分が思った通りに身体を動かせるため,例えクラブが変わってもそれに合わせたイメージでクラブを触れば今まで通りプレイができるわけです。これって最高ですよね。
とまー,また理屈はわかったものの,じゃどうすんの?とう点では全く話が進んでいないわけです。ならもう調べるしかない!ということで「身体と世界の境界線」っていうちょっとかっこつけた名前で,身体と身体の周りの道具及び世界との関わり方に関する学術論文を紹介しようと思ったわけです。さらっと調べたところ英語論文の方が多く,多分毎日更新するのは難しいと思います。でも可能な限り頻繁に更新したいと思います。
地元茨城の有名な撮影スポット
昨月の話になってしまいますが,茨城に住んで9年目にして初めて大洗の磯前神社に行きました。
大学2年目にして普通自動車免許を獲得し(夏休み前),夏休みには車を手に入れ,それ以降大洗の海岸と海には何度もお邪魔しました。
嫌なことがあってぼーっとドライブがしたくなった時の行き先であったり,サークルの後輩を遊びに連れて行く先であったり,本当に何度行ったか覚えていないほど大洗の海岸には行きました。
そんな9年目にして初めて磯前神社に行きました。
結論から書きます。すごかったです。
前から知ってればなーと思いました。
ただそれと同時に,これは写真を本格的に始めたからこその巡り合わせであったのかなとも思います。
そんな磯前神社の写真を二枚ほど。
どちらもAdobe Lightroomで自動補正をかけたものになっています。
特に二枚目は,空に浮かぶ島の鳥居っぽくなって,僕のお気に入りです。
Canon 7D Mark Ⅱ / EF 70-200mm f4L IS USM / 200mm / f 4.0 / 1/5000秒 / EV ± 0 / ISO 100
Canon 7D Mark Ⅱ / EF 70-200mm f4L IS USM / 70mm / f 4.0 / 30秒 / EV ± 0 / ISO 100
一人娘 立春朝搾り 平成二十八年丙申二月四日 清酒
一日遅れになってしまいましたが,地元(大学入学から早9年)茨城の一人娘の立春朝搾りを頂きました。
手元に四合瓶があるので,お酒の情報も。
株式会社:山中酒造
原材料名:米(国産)・米麹(国産米)
精米歩合:60%
アルコール分:15度以上16度未満
まだまだ日本酒初心者な僕ですが,とても簡単に感想を書かせて頂きます。
今回の立春朝搾り,冷蔵庫から出した直後のキンキンに冷えている状態から,その後常温で4時間ほどおいた状態まで,4時間程かけて四合瓶を飲ませて頂きました(勢い良く飲み過ぎたと反省しています)。
キンキンに冷えている状態では,程よく辛口な日本酒だなという印象でした。
飲んだ後すっきりしていました。
僕は辛口が大好きなのでとても気に入りました。
その後ちょびちょびと飲み続け,常温に近い状態になってくると,辛口なだけではなく旨味も出てきて飲みやすくなったという印象です。
冷えていた状態に比べると後味が残る感じがしました。
また,常温の方が飲む前に香りが楽しめると感じました(僕はどちらかと言えば鼻の感度が悪いので,冷えていてもしっかりと香りを楽しめると思います)。
今回僕はこの立春朝搾りの四合瓶を3本注文しました。
日本酒にはまるきっかけを与えてくれた実家の両親用,馴染みの飲み屋の店員さんと一緒に飲むよう,そして自分で一本飲むよう(本日でなくなりました)です。
1本家で貯蔵しておくようとして4本買っておけばよかったと後悔しています。
予約をした酒屋さんに余りがないか聞いてみようかと考えています。